タグ別アーカイブ: 歴史叙述

歴史研究者にとってのブログの在り方を考える“Blogging for Historians”

イギリスの図書館や博物館等のソーシャルメディア活用法を若手研究者向けに伝えるSocial Media Knowledge Exchange(SMKE)というプロジェクトがあるが、このSMKEから助成を受けて“Blogging for Historians”というサイトが公開されている。

作成者は、16世紀のイングランドにおける歴史叙述を専門とする、シェフィールド大を出たてのMatt Phillpott氏。氏は、ロンドン大のIHRによる歴史研究者向けの研修・イベント提供プロジェクト“History SPOT”のブログを2010年から担当されたとのことで、今回の“Blogging for Historians”も、この経験が下敷きになっている。

“Blogging for Historians”では、文書館や図書館、歴史研究でブログを実践している人を対象にしたインタビューポッドキャストを提供し、また、そのような実践をしている人がブログで何を得たのか、何を考えて実践しているのかについてのアンケート調査を行うという。そしてプロジェクト期間の終了時にはワークショップの開催も予定されている。

現在、ブログの優良事例を集めるアンケート調査を実施しているようだ。

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日本の歴史研究者のブログの現状調査、というのも面白いかもしれない。やってみようか。

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査読を受け、かつデジタル形式で研究書を刊行する4つのモデルとは?

2012年11月16日に、ペンシルバニア大の歴史学部の院生向けに開催されたワークショップ“Researching, Writing and Publishing History in the Digital Age”で、ハートフォードトリニティカレッジのJack Dougherty准教授が招待講演を行っている。

講演は、「研究者にとってのデジタル出版環境の激変」をテーマとしたものだが、6分という短い時間であるため、あらかじめ10月30日に氏が自分のブログで、講演のコンセプトとなるものを例示している。それが、タイトルにある「査読を受け、かつデジタル形式で研究書を刊行する4つのモデル」である。

そしてそのモデルとは以下とのこと。

①電子書籍(印刷版をただ電子化したものから、デジタルコンテンツを駆使したデジタルならではのものまで存在)

②ガイド・サイト(紙または電子で刊行した研究書で扱うことができなかったものを、フリーアクセスのサイトを構築して提供するというもの。)

③ドラフト版の公開(ドラフト段階の原稿を公開して意見を募るオープンピアレビュー)

④オープンアクセス出版

ただし、いきなりあれこれを始めるのは勇気がいるものなので、さしあたり歴史系の院生は、カンファレンスペーパーをデジタル版で共同執筆・編集するところから始めたらどうか?と提案している。そのほか、ブログ記事では、4つのモデルにそれぞれの実例と、記事最後で参考になる論文数編が挙げられている。

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要するに、単に紙でやったことをデジタルにしましたということではない、ということだろう。当たり前といえばそうだが、歴史叙述の変化(の可能性)の一つとして考えておきたい。

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歴史「叙述」から歴史「動画作成」へ、という記事

歴史叙述の形態というか、歴史学の発信という観点から色々思うところがあったので、とある記事をご紹介。

2012年3月12日のThe Chronicle of Higher Educationに“Every Monograph a Movie”という記事が掲載されている。執筆者はアイオワ大のMarshall Poe氏。

記事の内容は、大雑把にいえば、歴史家は歴史「叙述」から歴史「動画作成」へ力をいれるべきではないか、という問題提起である。以下記事内容をざっくり紹介。

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記事冒頭で、氏は同僚のオーストリア人の、「オーストリアでは歴史学は物理や化学等と同列で科学とみなされている。だから、研究者は研究成果を一般市民に読んでもらうことを別に期待していない」という話を紹介する。またその同僚は、「反対にアメリカでは歴史学は科学とみなされておらず、半分学問半分文学だ」とも指摘している。

Poe氏もその指摘を「まあその通り」として認めている。そして、自分の考えではと断りを入れたうえで、一般市民に読んでもらえるような本を書くのは(英語圏の)歴史家にとっては必要なことである、なぜならリベラルな善き市民は民主主義の繁栄にとって不可欠だからだ、と述べている。

しかし、歴史書を書いても市民が本を読まなくなったことが問題だと指摘している。だがそれでも、市民が好きな耳と目に訴える方法でなら歴史を伝えるのは可能であり、今ならそれもできると指摘し、歴史動画作成へと話が移る。

ここで実際にPoe氏が実践した、写真から動画を作って、それをYouTubeに公開するという授業等を紹介している。そしてそれを踏まえ、動画作成に歴史家が関わるべき理由、受け手側にどのような影響があるか、という問いに答えている。

動画作成を行うべき理由として挙げられているのは、 「学生が動画作成等のスキルを習得できる」「学生がテキストを精読するようになる」「学生の批判的思考の訓練となる」の3つ。いずれも歴史学は役に立たないのではないかと批判されるポイントに対する応答とされている。

また、受け手側への影響については、蓄積事例がないので何とも言えないとしつつも、だが動画公開をすると多くのコメントが付いているので、影響はあるのだろう、としている。

最後に、歴史「叙述」から歴史「動画」へ取り組まないと、読まれないままになってしまうよ、と結ばれている。

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以上が記事の内容だが、要するに、今までのように本を買いていても誰にも読まれないんだから、ちゃんと見てくれる(可能性の高い)動画を作ることを考えようよ、そうすれば「歴史は役に立たない」という議論にも対抗できるんだし、ということだろう。

デジタルヒューマニティーズ、あるいはデジタルヒストリーの登場が、歴史叙述をどう変化させるかを考えていたので、こういう議論は興味深い。

だがこの話は、歴史学は研究者のためにあるものという立場の人にはあまり意味をなさない。また、そもそも市民に向けて語ることと研究者向けに語ることは両立するはず。むしろここで問われるべきは、市民向けの活動あるいはパブリックヒストリーが、研究業績上、研究者向けの活動に比してなぜ低く評価されるのか、またその妥当性はどうなのかということだろうか。

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