月別アーカイブ: 6月 2014

Digital HumanitiesとDigital Historyの差異に関する昨今の議論に思う

ジョージメイソン大学のRRCHNM(Roy Rosenzweig Center for History and New Media)の新センター長Stephen Robertsonが、5月23日に、”The Differences between Digital History and Digital Humanities”という記事をブログに公開している。

「デジタルヒューマニティーズ/デジタルヒストリーの動向」というタイトルを掲げ、せっせと原稿を書いているものとしては反応せざるを得ないので、ひとまず以下にその概略をまとめておきたい。

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記事のテーマは、昨今のDHum(Digital Humanities)の議論におけるDHis(Digital History)の不在について。Dhumは専らdigital literary studiesとなっているのではないか。

大小さまざまな歴史学会においてデジタル技術の活用は注目されている。とはいえ、皆が使いこなせているわけではない。

使いこなしたうえでのDHisに議論を拡大していきたいものの、”DHum”としての成果では訴えるものがない。なぜか。その理由は、DHという言葉が分野横断的であるがゆえに助成金獲得に役立つ一方で、個々の専門のコンテクストからいえば理解しにくいものであるから。

では、DHum(Digital Literary Studies)とDHisとの違いは何か。

1つ目は、DHisでは、オンラインでの史料の提供や発信が主。だが、DHumから見れば、それはむしろオーラルヒストリーや民俗研究、パブリックヒストリーの領域とみなされる。もちろんDHumではないというわけではないが、あくまでDHumの中心からは外れている。

2つ目は、DHisはDHumで盛んに行われているテキストマイニングやトピックモデルではなく、デジタルマッピングに熱心である。もちろん、DHumでもマッピングの研究はあるし、DHisでもテキスト分析は行われているが。

歴史研究者がテキストマイニングやトピックモデルをしない理由の一つとして、機械可読可能なテキストの不在、あるいは少なさがあげられるのではないだろうか。

この問題については、ことし11月に開催予定のRRCHNMの20周年カンファレンス(2014/11/14-15)で取り上げるので、乞うご期待。

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その後、上記記事に対して、カリフォルニア大バークレー校の博士課程学生であるScott Paul McGinnis (馬吉寧)が反論を寄せている。色々な論点があり、まとめにくいが、ざっくりまとめると以下の通り。

 

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DHの中に歴史学はすでに含まれている。DHと歴史学に不協和音があるとすれば、その問題は歴史学の領域の中にデジタルなるものが入り込むのに時間がかかっている、ということ。結局、DHumと歴史学を分けて考えるのは間違いではないか。

Morettiとそのシンパが、DHumを20世紀の文学研究のあり方を変えるものと捉えることで、Distant Reading=DHumとの理解が広まっている。DHumは幅広い概念であり、Distant ReadingはDHumの一部に過ぎないにもかかわらず、DHum=Distant Readingとの理解から、DHumが文学研究中心であるかのように理解されているのではないか。
歴史学やその他領域がそれぞれのDHとするのではなく、DHの成果の共有が重要である。したがって、DHisを否定的に定義するのではなく、「歴史家は何をしているのか、それをデジタルなるものはどのように助けるのか」が問われるべきである。 云々…

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以下からは、現時点での感想をメモとしてまとめておく。

・ Robertsonの指摘するDHisとDHumの差異は感じているが、「デジタルヒューマニティーズ/デジタルヒストリーの動向」では、DHis含めDHum研究者の議論と反響を参考に、(図書館情報学に片足を突っ込みつつ)歴史学の立場から見て「面白そう」というものを、なるべく幅広く取り上げるように意識している。

・DHumは人文学という広大な領域を方法論的観点から包含する研究領域であると理解しているので、自然、DHisもDHumの中に含まれていると認識している。だが、人文学の諸領域でそれぞれ研究手法や考えが異なる以上、DHumとDHisで力点が異なるのは当然である。また、DHumという大きな傘が、DHumの成果の共有という点で重要である一方、個々の領域での深化という点では今後弊害になるかもしれないとも考えている。

・Scott Paul McGinnisのDisitant Readingの件は少々乱暴な印象を受けた。2000年以前から電子テキスト化の進展ゆえにDHumの主戦場が文献学や文学領域となり、史資料の検索データベースやデジタル化(≠テキスト化)の進展から、歴史学はDHに目を向けるようになったのではなかろうか。(というのも乱暴な議論だが、とりあえず感想なので書きとめておく。)

・歴史研究者がデジタル技術の活用に及び腰なのは、「どう捉えてよいかわからない」点にあるのでは。研究者にとって、DHisは新しい大きな可能性があるような気がしつつも、自身が抱えている問いと意義の上にそれが位置づけられていないので、評価の仕様がないのではなかろうか。とくに史資料のデータベースや史料のデジタル化は研究上大いに役立つものだが、歴史学の「本質」ではなく、「研究環境」として捉えられるであろうし。

Scott Paul McGinnisが以下のように述べているが、

In general, the best approach would be a combination of all available methods of research and discovery; in particular cases, the approach should be selected based upon the nature of the questions and sources involved.

これには自分も同意見である。個々の研究者の問いにDHisが位置づけられることで、DHisが「普通」となると思うが、それは結局、先ほど述べたように、DHum全体との疎遠化をもたらすと思う。

・ちなみにだが、スペインのDHisの研究者であるAnaclet Ponsが、自身のブログでRobertsonと Scott Paul McGinnisのブログ記事をスペイン語訳で紹介している。

 

 

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文化機関向けに「使える」研究成果を300単語で発信 King’s College London の”CultureCase”

コンセプトが気に入ったのでご紹介。

このほどKing’s College LondonのCultural Instituteが立ち上げた”CultureCase”は、文化機関の諸々の活動で役立つものと言えそうだ。

“CultureCase”は、いわゆるアカデミックな研究内容をわかりやすく紹介するポータルサイトだが、その目的がより限定的なところに特徴がある。すなわちこのサイトは、教育や経済、環境に対して与える芸術や文化のインパクトや、消費者行動やファンドレイジング等に関する学術的知見を提示することが目的とされている。これらにより文化機関は、文化の意義をアドボカシー活動で示したり、意思決定に際してその根拠に基づいた 判断をするのに役立てることができるという。

研究成果は、「使う」局面ごとにカテゴリで分類されており、個々の研究成果の紹介ページには、300単語でその研究内容を紹介するサマリー、そして 研究文献へのリンクや研究者のアドレスも記載されている。

「研究と社会をつなぐ」ために、「つながりたい」相手の、それも「使う」場面
を想定した(人文)科学コミュニケーションの手法には、いろいろ学ぶべきところがあると思う。

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ネタ以外に歴史学を使う場面は、さてどのようなものだろうか。

CultureCase

King’s College London launches CultureCase – Digital Meets Culture

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