歴史「叙述」から歴史「動画作成」へ、という記事

歴史叙述の形態というか、歴史学の発信という観点から色々思うところがあったので、とある記事をご紹介。

2012年3月12日のThe Chronicle of Higher Educationに“Every Monograph a Movie”という記事が掲載されている。執筆者はアイオワ大のMarshall Poe氏。

記事の内容は、大雑把にいえば、歴史家は歴史「叙述」から歴史「動画作成」へ力をいれるべきではないか、という問題提起である。以下記事内容をざっくり紹介。

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記事冒頭で、氏は同僚のオーストリア人の、「オーストリアでは歴史学は物理や化学等と同列で科学とみなされている。だから、研究者は研究成果を一般市民に読んでもらうことを別に期待していない」という話を紹介する。またその同僚は、「反対にアメリカでは歴史学は科学とみなされておらず、半分学問半分文学だ」とも指摘している。

Poe氏もその指摘を「まあその通り」として認めている。そして、自分の考えではと断りを入れたうえで、一般市民に読んでもらえるような本を書くのは(英語圏の)歴史家にとっては必要なことである、なぜならリベラルな善き市民は民主主義の繁栄にとって不可欠だからだ、と述べている。

しかし、歴史書を書いても市民が本を読まなくなったことが問題だと指摘している。だがそれでも、市民が好きな耳と目に訴える方法でなら歴史を伝えるのは可能であり、今ならそれもできると指摘し、歴史動画作成へと話が移る。

ここで実際にPoe氏が実践した、写真から動画を作って、それをYouTubeに公開するという授業等を紹介している。そしてそれを踏まえ、動画作成に歴史家が関わるべき理由、受け手側にどのような影響があるか、という問いに答えている。

動画作成を行うべき理由として挙げられているのは、 「学生が動画作成等のスキルを習得できる」「学生がテキストを精読するようになる」「学生の批判的思考の訓練となる」の3つ。いずれも歴史学は役に立たないのではないかと批判されるポイントに対する応答とされている。

また、受け手側への影響については、蓄積事例がないので何とも言えないとしつつも、だが動画公開をすると多くのコメントが付いているので、影響はあるのだろう、としている。

最後に、歴史「叙述」から歴史「動画」へ取り組まないと、読まれないままになってしまうよ、と結ばれている。

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以上が記事の内容だが、要するに、今までのように本を買いていても誰にも読まれないんだから、ちゃんと見てくれる(可能性の高い)動画を作ることを考えようよ、そうすれば「歴史は役に立たない」という議論にも対抗できるんだし、ということだろう。

デジタルヒューマニティーズ、あるいはデジタルヒストリーの登場が、歴史叙述をどう変化させるかを考えていたので、こういう議論は興味深い。

だがこの話は、歴史学は研究者のためにあるものという立場の人にはあまり意味をなさない。また、そもそも市民に向けて語ることと研究者向けに語ることは両立するはず。むしろここで問われるべきは、市民向けの活動あるいはパブリックヒストリーが、研究業績上、研究者向けの活動に比してなぜ低く評価されるのか、またその妥当性はどうなのかということだろうか。

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